小泉 さん ≫≫ 千葉大学 合格/ 前橋育英高校卒

現役時、センター5-7で59%
一年後、センター5-7で75%で千葉大学合格!

小泉 さん ≫≫ 千葉大学 合格/ 前橋育英高校卒


これまで小泉は 挑戦校に対して不合格を重ねてきた。4年前の高校入試は、可能性の低かった前橋女子を受験。不合格に終わり、育英の1類に進学をしていた。

1年前の国立前期入試においては、担任の先生からはセンターの点数的に秋田大学の受験を進められた。だが小泉は無謀にも群馬大学を受験。またしても不合格に終わっていた。

「昔から 模試の判定・担任の先生・両親の進言 を受け入れずに自分のプライドを満たす出願をしてきました。それで合格できれば周囲を納得させられたのでしょうが、合格できる実力は無かったですね。」

浪人を決意した小泉は いくつかの予備校の説明会に参加した。高校時代にスマホなどで勉強に集中できないこともあったので、東進 前橋表町の拘束制度に惹かれた。映像学習には不安があったが、何よりも、“近くて帰れない“が決め手になった。

4月8日から学習スタート。心配していた映像学習はすぐにフィットできた。9:00-21:00が拘束制度だが、小泉は開館時間のMAX(=8:30~21:25)で学習しつづけた。直後に行われた4月マークはセンター本番とほぼ同じ得点だった。

この頃の小泉はどこか自信の無いクールな表情が印象的であった。

<5月に行われた数学の勉強会にて>

この勉強会にて小泉の意識が変わる。それまでの小泉は 解けなかった問題→ノートに解答を写す ということで満足していた。そして 直後の解きなおしで解ければOKと思っていた。だが、その方法ではいつまで経っても 混同・忘却が起きる事、初見の問題が解けないという症状が残ってしまう。

小泉は勉強会で紹介された通り、予習で粘り、考察を行い、一人家庭教師のように誰かに教えるように復習をすることにした。この学習方法で講座やプラチカなどを進めていった。

化学については現役時代にかなり学習したにもかかわらずマーク模試に置いて40点前後しか取れなかった。小泉の志望校はセンターと二次に於いて化学が課される。この教科を得意にできるかどうかが最初の山場だった。講義の予習には60分かけ、90分の授業を二倍の180分かけて受講した。数学同様、自分で粘って解くことを重視した。受講後に重要問題集も重ねた。6月のマーク模試にて既習範囲で67%。8月のマークでは80%まで得点が伸びた。この成果をみて、スタッフは生物受講のGOサインを出した。生物は授業での理解と絵を描いて覚える事を重視して、成績を上げることができた。

順調に学習を継続した小泉は10月マークにおいても得点を上昇させる。センター直前も緊張はしていたが、40週間やり切ったことで、不安は吹っ切れていた。

センターは自己採点にて自己ベストの75%。千葉大に挑戦するか、無難に埼玉に出願するか。今までの受験の経緯から母は埼玉を推していた。

科目的には千葉に勝機を見出していたが、それも小泉のチャレンジャー視点での中であった。最終的には願書数観察によって決めようとしていた。前橋表町校では願書数予想の勉強会を行っている為、生徒の多くが願書数の観察姿勢を取る。

だが、願書数は最初の数日でものすごく伸びた。「このペースでは190人(過去最高)になるぞ。どうする?」だが小泉の気持ちは千葉で固まりつつあった。小泉の気持ちを察した校長は「千葉で行くなら願書を見るのをやめよう。問題と向き合え。低倍率でも取れなきゃ落ちるのだから。」

そう言って、2人は願書数を見る事を封印した。東進の過去問演習講座に全力で取り組み、10年分をやり切ったのだ。

だが、私大の結果が思わしくない。補欠や不合格が連続した。これにより小泉の心は大きく揺さぶられた。「この私大を取れない実力で千葉が取れるのか?」

そんな心境で臨んだ2月25日の試験。ある程度はやれた。だが通る自信はなかった。

千葉大受験の帰りの電車の中で、願書数観察の封印を解いた。

最終志願者数199通。(前年142人)

「受かる訳が無い。」「また不合格になるのか。なぜ埼玉にしなかったのか。どうせ私は頑張っても・・」いろいろな思いが駆け巡り、涙が止まらなかった。

クールな小泉が人目も憚らす号泣したのだった。

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3月8日。既に気持ちは埼玉に切り替えていた。前期の翌日から 後期の試験に向けて予備校に来ていた。だが、13時の発表は自宅に戻って見ることにした。 校長に「どうであれ電話します。」そう言って校舎を後にした。

恐る恐るPCで発表を見る。「番号がある‼ なんであるの?」小泉は合格を信じられずに10回ぐらい確認した。

電話の呼び出し音が鳴る。「小泉です!私、初めての合格です!初めて・・挑戦校を合格できました!!!」校長も電話口で絶叫してお互い何を話したか覚えていない。同席していた母はもちろん、父も祖母も大喜びであった。

小泉は届いた合格通知をしばらく見つめていた。

この4年間の全てが真っさらになった。ずっと抱えて来た悩みも恐れも消えていた。

後日、合格報告に訪れた小泉に表情には、自信と達成感に満ちた満面の笑みがこぼれていた。新たな人生の始まりであった。

―完―

<校長より>

近年、前橋表町校では受験校プランをやや安全に組んでおります。その中で小泉さんの決断は五分五分以下の出願でした。強気の出願の後、まるで神様に試されているかのように逆風の連続でした。その中で恐怖心を抑え、毎日ストイックにやり切れた。その最後の姿勢が勝利を引き寄せたと思います。この自信をこれからの人生に役立てて下さい。

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