一浪目、他塾で平均5時間学習。日本大学不合格。
二浪目、表町校で9時間学習。上智大学(経営)合格!
小池 君 ≫≫ 上智大学 合格/ 前橋育英高校(2類)卒
中学時代から苦戦していた。500点満点の試験で200点台。入試直前に300点付近まで上げることができたが、公立高校は不合格になり、前橋育英の2類に進学した。
「家族の中で自分だけが成績が悪くて。でもゲームやスマホが好きなので、高校時代もさほど勉強しませんでした。」と本人。ただ、大学生活には憧れをもっていたので、高3の秋からは大学受験勉強を開始した。高校の日本史の授業がとても楽しく、日本史はこの時点で得意教科であった。当時の第一志望は日大・駒澤。頑張れば届くと楽観していたが、惨敗。全て不合格になり、浪人を決意した。小池は大規模予備校ではなく、個別指導型の塾に入学する。週に数コマ授業があり、あとは自習室を利用できる。現代文は成績を上げることができたが、平均学習時間は5~6時間程度。苦手な英語を克服できずに、二度目の入試を迎えた。
結果は、日本大学・立教大学 ともに不合格。
二浪目にあたり、小池は東進の説明会に参加し入学手続きを行った。得意な日本史は演習講座のみ設定し、苦手な英語と古文はとにかく基礎の講座からやり直すことにした。
東進ではレベル0~11の難易度に分かれているが、小池が初めに受講した講座はレベル1~3の講座だ。「最初の文法Ⅱの講座がとにかくわかりやすかったです。これで基礎をちゃんと作れた。続いて構文の学習へ進んで英語が楽しくなり始めました。5文型で英文を読むという方針が小池の英語を激変させた。
また、古文についても古典文法の講座で完全に理解し助動詞などとにかく書いて覚えていった。こうした基礎の積み重ねで8月マークにおいては英語で150点を超えていった。
三者面談にて。このまま学習していけば立教大学の合格は見えてきた。
母が「ここまで伸びてきたなら、さらに上の大学も目指してみたら?」その時は小池は軽く否定し、立教メインでの対策を考えていたが、やがて気持ちに変化が現れる。上智大学を志望校に書き始めたのだ。
10月以降、私大の英語と格闘するなかで、またいくつかの問題が発生した。センターより難度の高い英文・内容そのものの高度化。江上先生の指示により、背景テーマも同時に抑えた英語学習をすすめていった。音読を繰り返したこともあり、センター模試でも90%付近まで到達するようになっていた。
基礎理解が完成していたことにより、ビンテージなども単純暗記ではなく理解暗記で進めることができた。
12月末。江上先生は小池を心配していた。
それは小池が「成人式に出たい」と話していたからだ。2浪生にとって成人式は鬼門だ。東進の吉野先生のエピソードにもあるように。「成人式に参加するか、しないか。全てを断つのか?参加しても受験モードに戻れる強さがあるのか?大学受験とは無縁の空間の中で、大学入試に挑む自分を疑問視しないだろうか?江上は小池が逸れてしまわないかを心配していた。
だが、小池は戻ってきた。友人も大事にしながら合格する。そんな気迫に満ちていた。直後のセンター試験本番。現代文で失敗するもトータル83%。これによりセンター利用で法政を抑えられた。
2月7日。勝負の上智大入試。日本史はもちろん、英語や古文でもある程度戦えた。自分の力は出し切れた。2月13日。この日は立教の試験日であったが、上智の発表の日でもあった。上智の結果が気になったが、なんとか試験を終えた。直後に会場で上智の発表を見る。
スマホ画面に「合格おめでとう」の文字が見えた瞬間、体の奥底からなんとも言えない感情が沸き上がった。試験会場にいるにもかかわらず声を出して喜び、すぐさま母に電話をしたのであった・・・。
ついに2年という長い浪人生活に最高のピリオドを打てたのだった。
<小池くんから>
高校時代に日本史・一浪目で現代文は 得意教科になっていました。ですが、私大入試は3教科を揃えなければ全く受からない事を痛感しました。3教科とも伸ばすには、年間通して9時間レベルの学習を習慣づけなければ無理でした。スマホ・ゲームも完全に隔離して9時間勉強できる環境。本当に良かったです!また、受験生は○○大対策という学習に入りたがりますが、春夏の基礎講座のほうが重要です。勉強会や担任スタッフから指示される副教材も、作業ではなく理解してこなしてください。