中町君 ≫≫ 宇都宮大学 教育 進学

現役時、センター5-5で43%
1年後、センター5-5で65%

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高校時代の中町は朝から晩までバドミントン漬けの生活を送っていた。中学時代のライバルが桐高にいくと聞き、彼と同じ環境で鎬を削りたいと考えた中町は、猛勉強の末なんとか桐生高校に合格することができた。入学してからは、勉強そっちのけで部活に勤しんだ。ラケットを持たない日などないくらいにバドミントンにのめりこんだ。高3時に全日本ジュニアダブルスでベスト16。誰もが羨む好成績を収めることができた。

そんな輝かしい部活動の栄光とは裏腹に、勉強の成績は芳しくなかった。勉強時間はほぼ全て部活動に吸収され、まともにやった勉強といえば課題に答えを写して提出するくらいのもの。勉強がこの世で一番嫌い。ペンを持つくらいなら、ラケットを持つか筋トレをしている方がはるかに幸せだった。バドミントン以外の事は全てテキトーに済ませてきた。気が付いた時には、テキトーという言葉が中町のモットーになっていた。授業もテキトー。課題もテキトー。何もかもテキトー。面倒くさいことは後回し。とにかくその場を乗り切れればいい。

そんな「テキトー」な考え方を卒業するまで貫き通した。成績は学年で180~200位のあたりをずっと低迷していた。スポーツでは優秀な成績を収められたものの、学業面で他人から称賛されることは皆無だった。そんな「テキトー」な勉強スタイルのまま迎えたセンター試験。5-7で43%。惨敗だった。一緒にダブルスを組んでいたライバルも浪人が決まり、「今年もお互いがんばろう!」と再起を誓った。

もともと建築系を考えていた中町だったが(志望学科選びももちろんテキトーであるのは言うまでもない)、幼少時代から体を動かすことが好きだったため、浪人するにあたってスポーツ・体育系へ志望を変えることにした。「テキトー」な心持ちではなく、本心からやりたい学問に向けて勉強を開始した。

4月から本格的に予備校に通い始め、授業を受けつつ自習をこなしていった。他校の友人もでき、順調に予備校生活に慣れていった。しかしながら、入学して最初の東進模試でトータル47%。1日10時間以上の勉強を何日も続けてきたにも関わらず、現役時代と大して変わらない結果に落胆した。

「今までと同じようなテキトーな学習じゃダメなんだ。何か変えなきゃ。1年あるからって余裕ぶっこいてたらまた同じ結果になる」この時から、中町の勉強姿勢が変わり始めた。自由登校日となっている日曜日も積極的に来るようになり、各科目の勉強法をスタッフや医学科チューターに相談し、毎日閉館ギリギリまで残って机に向かうようになった。「誰よりも遅く帰ってやる」という意識が芽生え始めた。特に苦手で嫌いな英語は、中学生レベルの単語帳を用意し、毎日帰宅してから床に就くまでの時間を使って隅から隅まで覚え直した。丁寧にじっくり受講を進めつつ、疑問点が出たら常にスタッフやチューターに質問して分からない箇所を1つずつ潰していった。

勉強した成果がすぐに結果に出なくても、毎日机に向かった。いつかその努力が目に見える結果となって表れるのを信じて。だが、現実はそんなに甘くなかった。

迎えた10月の外部模試。自己ベストを更新したり、大幅に得点を伸ばした友人達の陰で、中町は落胆していた。微増はしているものの、思い描いた点数ではなかった。過去の模試で良い点数が出なくても、「まだ次がある」と気持ちを切り替えてペンを握り直すことができた。しかしながら、センター本番まで残り3か月という事実と、友人たちの得点上昇が、中町の精神を痛めつけていった。

センター試験まで残り1か月を切った12月の東進模試。結果は合計56%。あれだけ勉強量を投資してきた英語でさえ81/200。常にポジティブ思考の中町もショックが隠せなかった。
「今までの努力はなんだったんだよ!!」
模試の翌日に受付で茫然自失になっている中町をスタッフの高田は激励した。

「これまでの中町君の学習に悪いところなんて1つもない。やっていることは何一つ間違ってない。本番まで地道に演習を重ねていこう」

模試の翌日、受付での高田との会話の直後に解いた過去問で信じられないことが起きた。複数科目で自己ベスト連発。苦手な英語も7割を超えるようになった。失われかけていた自信を取り戻すことができた。

迎えたセンター本番。「いつも通り冷静に。」を合言葉に、落ち着いて問題を解くことができた。結果は合計65%。直前の過去問演習ほどではないが、まずまずの結果だった。

センター後の面談にて、宇都宮大への出願に決定。この日から2次試験の実技に向けて練習を重ねていった。校舎のOBを通して2次試験内容を把握して、本格的に対策をしていった。

迎えた合格発表当日。HPよりも数時間早く大学内の掲示板にて発表があった。宇大に進学していた高校の先輩から掲示版の写メが送られてきた。自分の番号が自然と目に入った。嬉しさよりも、安堵の方が大きかった。 

―完―

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