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前橋表町校 体験記 国公立編

※体験記は三河校時代の物も含みます。

 

 体験記を製作するにあたって、どこまで個人情報(成績や、受験の合否)を掲載するか悩みました。前橋表町校では、「特待生(最初からできる生徒)制度に頼らず、各個人がどれだけ伸ばせるか」をテーマにして運営しております。伸び幅をお伝えするために、ある程度情報を掲載する決断に至りました。(生徒さんに同意をいただいております。)

 

 

現役時:5教科6科目型で170点/700点(24%)
1年後:4教科6科目型で413点/700点(59%)

4教科型では歴代最高の伸び!

須藤さん ≫≫ 高知大学 農学部 合格/勢多農卒(2015年)

 

塾・予備校に断られ続けた勢多農林生の軌跡

 毎年、勢多農林高校から国公立大学に数名合格者がいる。そのほとんどは 農業研究で全国大会受賞者が推薦で進学を決めている生徒達で、センター試験・二次試験を免除されての合格だ。だが、須藤は、勢多農内にて、その枠には入れない位置にいた。

 

 唯一出願できる推薦は 高知大学 農学部。だが、それはセンター試験併用型のAO入試だった。

 

 農業高校では、大学受験勉強をしている生徒はほとんどいない。学校での指導も推薦対策中心であり、センター試験の学習などはほとんど触れない。

 

 須藤は高1のころから漫然と大学進学を考えていたが、受験勉強は全くしていなかった。高3になり、近所の塾の説明会に参加したが、模試の結果を見せたところ絶句され、入塾には至らなかった。結局自力でセンター試験の勉強を進めた。センター本番の得点は、英語42点、数学ⅠA10点。国語は60点。生物だけが58点。 700満点で170点だった。もちろん高知大は不合格だった。

 

 3月上旬になり予備校を検討した。インターネットで前橋三河校を見つけ、本人だけ説明会に参加した。(前橋表町校では説明会に参加してから2日間だけ座席を確保しておくことができるのだが、須藤は入会を決めかね、その確保は切れていた。)O学院の説明会に参加し、コースの相談をした。点数の低さが恥ずかしいので実際の得点より少し上の得点を伝えた(笑)ところ、「うちのコースではチョット・・・・ついていけない恐れがあります」と暗に断られた。「予備校に入学を断られるなんて、そもそも私は進学は無理じゃないのか?」そんな絶望的な気持ちになった。高校の担任に相談したところ、励ましてもらい受験を後押ししてくれた。

 

 その足で、再び前橋表町校に出向いた。須藤は東進衛星で受験勉強をやりたいが、母は映像授業ということで心配していた。田中校長に成績を伝えたときの反応が、「この成績でも入会できるし、講座にもついていけるし、フォローもできる。」という反応だったので、東進に入会することに決めた。やっと、塾・予備校に入会することができた。

 

 4月のマーク模試ではセンター本番とほぼ同じ得点だった。

 

 5月から、I君と暗記ペアが始まった。使い込まれたI君の単語帳を見て差を感じた。今までの甘い暗記を反省して、正当率100%に仕上げる習慣がついた。6月のマーク模試では2点しか上がらなかった。英語の勉強会で紹介された清水OBと同じように成績が上がっていないことに危機感を覚えた。休み時間をカットし、勉強時間を増やすようにした。

 

 8月のマーク模試では、全体で60点UP。10月のマークではさらに50点UP。順調に成績は上がっていったが、高知大のボーダーは遥か先にあった。10月になり、いよいよ縦受験プランを考える時期になった。だが、経済的に私立大学がNGだった須藤は、滑り止めの大学を選びようがなかった。

 

 「伸びてるけど届かないよ。」

 

 この時期に須藤は、あきらめモードになっていた。だが親・親戚に予備校代を出してもらっていたので勉強を止めるのは許されない雰囲気だった。

 

 「届かなくても最後まではやろう。」

 

 そんな気持ちで学習していた。

 

 その頃、スタッフは須藤をどう見ていたのか。失点分析面談を担当していた大澤副校長の談:須藤さんは全ての教科について、勉強会通りの学習方法を実践してくれていて、コツコツやるタイプでした。ただ、“高2までの学習の蓄積が無いことによる停滞の可能性”、〝滑り止めがないこと“で非常にリスクの高い状況にありました。「もし届かなかった場合は就職」と聞かされていたのですが、「この姿勢と努力を大学合格として実を結ばなかったらもったいない」という気持ちでした。だから高知がダメでも他の大学の合格をあげたい気持ちでした。

 

 12月23日のマーク模試で英語が予期せぬ高得点が出た。「もしかしたら行けるかも」

 

 ようやくそんな気持ちが芽生えてきた。

 

 センター試験本番当日。めちゃくちゃ緊張して氏名を5回も書き直した。1日目は手ごたえがあったが、2日目は不安の残る手ごたえだった。

 

 自己採点では4-5教科型にて59%。(英語は昨年から102点UP)目標に1%足りなかったので少し落ち込んだが予定通り、高知のセンター併用AOに出願した。高知大学のセンター併用AOの発表は2月6日。

 

 自宅には両親も待機していた。怖くて自分では見れなかった。先に両親が見てから自分が呼ばれた。そのときの両親の表情は笑顔だったのだが、須藤には落ちている励ましにしか見えなかった。

 

 PC画面を見る-

 

 自分の受験番号が画面にあった。 だが、しばらくそれを合格として受け取れなかった。書類が郵送されてようやく確信が持てたのだった。合格した事を勢多農へ報告した際に、先生方は相当な驚きだった。

 

 勢多農林生がセンターで国立に合格する。これは後輩たちにとって大きな励みになるであろう。

 

 校長から:須藤さんがこれまでいくつかの塾で暗に入塾を断られていたことを合格後に知りました。前橋表町校は他の予備校にくらべて入塾可能な成績基準が易しいのかもしれません。ただ、須藤さんと同成績の生徒が全員伸ばせているわけではありません。

 

 伸びる伸びないの分岐点はどこにあるのでしょうか?

 

 大学入試は暗記よりも思考要素が強い入試です。予習・受講・復習に於いて、考え抜く事が成績上昇のカギになります。「考えるのはメンドくさい。覚えていけば解けるでしょ。」と考える事を面倒くさがる生徒は表町校でも伸ばせないと思います。須藤さんの 

 

 243点UPは 拘束制度の中で 思考学習に正面から取り組んだゆえに起こせた奇跡だと思っています。

 

 

現役時 センター5-7で68%
1年後 センター5-7で89%!

中島 さん ≫≫ 北海道大学 総理 合格/ 前橋東卒(2016年)

 

1月15日(金)16:00 ―予備校の受付にて―

 中島はこれまでにない表情でスタッフと握手をしていた。合格の瞬間ではない。明日は“センター試験”なのである。

 「ガイダンス、本当に良かったです。心の整理がつきました!明日、やってきます!」

 そう言って予備校を後にした。

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 高3の3月。中島は全ての人達に浪人することを反対されていた。無理も無い。滑り止めの私大に合格していたし、前東の中で、女子で浪人は少数派だからだ。結局、後期の群大フレは未受験にして、前橋表町校の説明会に参加していた。拘束制度に惹かれて入学手続きを行った。

 

 4月から学習スタート。すぐに友人もでき、順調に受講を進めていった。前橋表町校では 沢山の勉強会がある。単に映像授業を受けるだけでなく、予習として何をやらなければならないか、また復習として何をするべきか。それらの手法ついて詳しい説明がある。中島はその勉強会で習った方法を全てトライして、その多くを継続的に採用した。特に“目次的に整理する” という事を意図的に続けた。「その日勉強したことを最後に短時間でまとめていました。覚えるというよりも整理になるんです。体系的に学習するという事が身に付きました。」

 

 面談を担当した大澤副校長からも数学の学習の指示が出る。「チャートより○○をやるべき。」中島はこの教材を4周させ、大幅に数学力を上げていった。成果は6月の模試で現れる。4月から80点UPした。だが、8月マークでは若干点数が下がった。これにより、中島の中で何かが狂い始める。勉強したくない心境になり、体調不良で予備校を休む日が何日か続いた。一般的に全国の浪人生は半数近くが長期不登校気味になる。中島はこの時期、正にこの境界線にいた。

 

 転機は10月末。宮下OBのガイダンスだ。本人アンケート:「あれだけ努力したにもかかわらず本番まで結果が出ないというのは本当に不安で辛かっただろうなと思いました。夏以降の模試で思うような結果が出ず、心が折れかかった状態で過ごしてきましたが、このガイダンスを聴いて自分の出来なさを責めずぎないようにしつつ出来ることを頑張ろうと思いました。」

 同時に、センター試験の得点率によって受験校の場合分けを考える作業が中島を再び本気にさせた。「何としてもこのラインを突破する!」 直前期には夕食休憩時間を最大限削り、校舎にいる間は集中して過ごした。現役時にあまりやらなかったセンター演習を大量に行い、宮下OBの復習方法にならい失点個所を復習していった。だが、11月のマーク模試は78%で綺麗に安定(停滞)したままだった。

 

 北大や薬学部にはまだ足りないまま、センター前日になった。浪人経験のある校長によるガイダンスは、スライド型のメッセージだった。その内容は、中島の心の閊(つか)えを取り去った。

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 2日間のセンター試験は無事に終わったが、翌日の月曜は大雪だった。いくつかの教科で問題冊子にマーク転記をし忘れ、正確な点数がわからない状況になった。それらを全て×にしても、5-7で83%取れたのだ。

 

 面談の結果、受験校を北大に定め、過去問演習講座にてできる限り北大対策を行った。2月中旬に予期せぬ北里のセンター利用合格が飛び込んできた。「ボーダー87%のはずなのに・・」本当の得点は83%より大幅に得点が高いかもという期待感の中、北大の入試日になった。二次の本番では、会場が異常に暑かったり、複素数が大問で出題されたりして、全体としてはあまり手ごたえを感じられなかった。

 

  両親は「あれだけ勉強したのだから受かる」と信じていた。運命の3月7日。自宅にて発表を見るーこれまでの人生の中で最高の喜びだった。前橋東の先生方は本当に驚いた様子だった。「浪人して良かったね」という言葉が心に沁みわたった。

 

 5月25日 

 新年度になった予備校に1本の電話が入る。「校長ですか?昨年お世話になった中島です。今日、開示が来たんです。センター89%でした!二次もかなり取れていて上位で合格したみたいです!」これで北里合格の謎が解けた。校長は最高の気分でHPの伸び幅を修正したのだった。

 

<北大に進学してみて 本人より>
「89%が分かっていれば、国立薬学部に出願してしまったと思うんです。でも、北大に進学して正解でした。北大はキャンパスも広く、学生の意識も高い。総合理系では1年次の成績・希望によって学部が振り分けられるので皆真剣に学習しています。この1年間で薬学部か理学部かを吟味して決められる。実は今、興味は理学部に傾きつつあるので、あの出願は運命だったかなーと思います。」

 

 

現役時、センター5-7で66%、
1年後センター79%、2年後センター88%。

金井 君 ≫≫ 滋賀医科大学 医学科/ 太田高校卒(2016年)

 

医学科志望の際に東進か駿台(市ヶ谷)か?

 駿台か東進かー。

 1浪後の3月、金井は田中校長と受付で相談していた。

 校長:「金井君の人生の決断において、当校で2浪目も過ごすことが最善かどうか一緒に考えました。駿台市ヶ谷は医学科志望者が最も集まる校舎です。当然、沢山の強みがある。金井君の弱点を埋めるにはどちらの予備校に行くべきかを一個人として助言しました。経営者としての計算無しに。」

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 金井は現役時、太田高校の理系クラスに於いて、真ん中より下の順位にいた。センター模試では5-7で50%台。自己ベストが出た本番でも66%だった。東進の在宅コースで学習していたので、引き続き東進の授業で学びたいと考え、前橋三河校へ入学した。この頃は、旧帝の理学部か医学科かは決めかねていたが、どちらも成績的には程遠かった。受講だけでなく、青木チューターや冨永チューターへ質問を繰り返し、数学、物理、化学においてはどんどん成績が上昇していった。 

 

 もちろん、文系教科をおろそかにした訳ではない。現代文は林先生の授業を、古文漢文 倫理政治経済も学習をしていった。

 

 1浪目のセンター本番。理系教科は軒並み90%を超えたが、文系教科は70%付近の得点。5-7で79%だった。ダメ元で医学科に出願するか、旧帝理工学部に出願するか。前者なら二浪を覚悟しなければならない。ただ、この1年で13%(5-7)上げた成果を振り返って、「今、医学科をあきらめるのはもったいない。もう1年やれば5-7で90%付近まで伸ばせるはず。」と前期後期とも医学科を出願。そのまま不合格で入試を終えたのだった。

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 金井が駿台と河合塾を見学してきた内容はこうだ。
「駿台も河合も理系教科二次重視のカリキュラムでした。社会は週1コマ。国語は週5コマ。1浪目で理系教科はある程度仕上がってきた自分が、そのカリキュラムで過ごしたら、1年後、また文系教科で失敗する気がしました。東進なら14講座の内訳を自由に決められる。2年目は講座を文系教科中心で使い、倫理政経を地理に変更することも可能。前橋表町校で推奨している 現代文の学習法・古文の品詞分解・地理の思考回路など、まだ自分には東進でやり残した勉強(伸びる可能性)があると感じ2年目も東進に通う事を決めました。」

 

 2年目の4月。

 

 金井以外のすべての生徒が入れ替わった2年目の生活が始まった。偶然2浪生の生徒達と友人になれたので、孤立せずに1年間を過ごすことができた。

 

 「解法に頼るな。本文と向き合え!」「古文の本文は品詞分解して読解をしろ。なんとなくで解くな!」「地理は地誌暗記で解くのではない。△ピラミッドで思考して解け。解答をやみくもに暗記しても90%は見えないぞ。」1年目は理系質問が多かったが、2年目は文型教科の質問もチューター達へ何度も繰り返した。

 

 一年目に得点を伸ばせた物理・数学も、真似(覚えて)して解ける→原理原則から説明できる状態を目指して学習した。そうしたことにより更に磨きがかかった。

 

 8月マークにて、数学がまさかの低得点だった。

 

 進学校では、「数学は二次記述でしっかり学習するべき。センター演習は直前だけやれば良い。」という考え方が根強い。金井も同様に考えで、数学のセンター演習を敬遠してきたのだ。校長・副校長は三者面談にてこの金井の考え方を改めさせた。「浪人生は直前期だけのセンター演習でスピード解消は難しい。今からセンター大量演習をするべき。スピードアップのプロセス構築も思考力だよ。邪道数学では無い。」納得した金井は10月に大量のセンター数学演習を行った。11月のマーク模試。演習の成果が出て5-7において素点で85%を出すことに成功。数学のスピード不足も大澤副校長の指示のもとに演習を重ねた結果、時間が余るようになってきた。センタープレでは素点で89%。機は熟した。 

 

 センター本番。理系教科はもとより、文系教科も大幅に伸ばすことができた。国語に至っては90%を超えた。これで、医学科を出願することは決定。第一志望の滋賀医科にするか群大にするか。滋賀医科はセンターでもボーダーが高く、二次の問題も群馬より難問が並ぶ。チューター達は「今の金井君ならどちらも受かる。行きたい方を受けろ!」という

 

 アドバイスが決め手になり、出願を決めた。質問対応を通して金井の実力を一番わかっているチューター達のアドバイスは的確だった。

 

 3月10日。インターネットで合格を知る。 

 

 人生で一番うれしい日となった。上昇した模試成績でも反応の薄かった(意図的に)親が、満面の笑みで褒めてくれた。高校の先生方へ報告した際も、この2年間の学習量を褒めてもらえた。自分でもこの2年間ストイックに過ごせた事が今後の人生の自信になった。合格後、チューターと食事に出かけこの2年間を振り返った。これからの6年間について楽しく相談できた瞬間だった。 ―完―

 

<校長より>

「2年かかったが体験記を作りたい。」そう思わせてくれる軌跡でした。66%から88%へ。この22%upに数々の指導とトライがありました。拘束制度で学習すれば、有名講師の授業を受ければ 自動的に成績が上がるわけではありません。センターで90%を目指すには、各教科の本質に迫る学習が必要です。それには大変な時間と根気を必要とします。金井君は概念を理解する・思考する・書いて覚える・センター演習をする。その全てをやり切りました。チューター達と二人三脚で勝ち取った合格でした。本当に2年間お疲れ様でした。

 

 

桐高では学年220位で停滞、
一年後に千葉大学 合格!

石田 君 ≫≫ 千葉大学(工学部)進学/ 桐生高校(普通科)卒(2015年)

 

「現在、体験授業説明会は満席となっています。キャンセル待ちリストに登録してお持ちください。」

 石田は後期試験が不合格になった直後に、前橋三河校に申込みの電話を入れたが、上記のような対応だった。

 その電話から5日が経過していた。この5日間に小野池や他の東進の説明会などに参加した。「東進前橋三河校は人気だから入学できないかもしれない」と思っていた頃に、ようやく電話が鳴った。「説明会に空席がでました。27日の10:00~はいかがでしょうか?」「行きます!」

 2人の繰上げ合格キャンセルにより、2名の空席が出たとのことだった。この説明会で同席になったのが、Mさんだった。2時間の説明会で石田は入会をすぐに決めた。

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 石田は高校1年次から伊勢崎の東進衛星予備校に通っていた。だが、水泳部だった石田は受験意識が低く、赤点スレスレの成績で過ごしていた。その頃の石田の成績は、桐高の中において、模試、定期考査ともに220位付近で安定していた。高3の部活引退を期に、全力で東進の授業を受講した。すると、短期間でどんどん成績が上昇していき、第一志望の群馬大学に出願できる状態まで成績を伸ばした。だが、前期・後期とも群馬大学工学部を不合格になった。

 「高3の夏以降、本気になったら東進の講座の素晴らしさがわかりました。ただ、短期間しかなかったために、付け焼刃の勉強になってしまい、特に二次対策はかなり後手に回った状態でした。」

 

 その反省から、浪人時には石田は全教科において基礎力をつける事を重視した。

 英語については、文法Ⅲからやり直し、5文型の概念を使って英文を大量に精読した。構文読解の復習時には、なぜ見抜けなかったかの考察学習を真剣に取り組んだ。

 5月になると、暗記ペアが始まった。暗記ペアとは、週に3回、お互いの単語集などを出題し合うテスト会である。ペアの相手は、あの時、説明会で同席したMさんだった。ペアの初日。Mさんは正答率100%だった。そして次の時も100%で仕上げてきた。

 「俺は1~2ミスになっている。Mさんに負けないように100%に拘ろう。」石田はこれまで染みついた「そこそこ暗記」レベルをやめ、100%の暗記に仕上げるということに拘ることにした。その後毎回の暗記ペアにて、お互い100%正答率をMさんと1か月間続けたのだ。

 

 ペアのMさん談「あの一か月は本当にお互いミスをしない緊張感の連続でした。私も英語・社会で90%以上出せたのは暗記ペアのおかげです。「そこそこ」と「100%」の違いが私にとっても決定打でした。ペアの相手の石田君も大幅上昇したのであれば私もペアとしてうれしい限りです。」

 

 7月の面談時。校長が数学の受講ノートや模試の痕跡を眺めていた。「石田君、君は粘り解きも考察もしていない。このまま機械的に受講をこなしても伸びないぞ。学習法を変えろ!」石田はそこから数学の学習法を変えた。数学だけでなく、どの教科においても基礎を使って思考する学習を意識していった。

 

4月→6月→8月と順調に成績は上昇していった。ただ、10月のマーク模試はついに伸び悩みが起こる。

 

「いよいよ、自分の能力の天井が来たと思いましたね。マーク模試が71%辺りで安定してしまったのでメンタルがヤバくなりました。でも、浪人したことの後悔はなかったですね。朝、規則正しく起き、9:00~21:00まで毎日学習できた事。目標に向かって前進している感=生きている実感、みたいなものがありました。」日曜日も含めて1日も休まなかったのが誇りと自信になっていった。センター前日もそれほど緊張しなかった。

 

 いよいよセンター当日。二日とも大きなトラブルもなく終えた。自己採点で79.4%。大幅に自己ベストを更新した。電気電子と共生応用の2学科で悩んだが、勉強会で学んだ願書倍率読みを実行して、電気電子に出願した。それからは千葉大学過去問演習講座で対策を練った。過去問を解き、答案添削してもらい、解説授業を受講する。このサイクルを全教科とも10年分もこなす講座だ。石田はこの中で傾向を掴み、特に化学では予想していた実験問題が出題され得点を稼ぐことができた。

 そして、合格発表。発表の1時間前からPCの前でソワソワしていた。時間になって番号を確認した時、『あった。』とだけ呟いてそのまま呆然とした。すぐに合格を受け止められなかった。近くにいた母親は『ウソ!?』とだけ言って、号泣した。石田は、2つの東進衛星に合格報告をしたのだった・・・―完―

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<石田君から>

「東進なら基礎を重視した学習からスタートしてもそのまま基礎クラスで終わることが無いですよね。基礎を終えたらすぐに応用~志望校の講座へ進めることが魅力でした。現役時に通っていた伊勢崎校にも、とてもお世話になりました。さらに表町校では一人一席の専用席、チューターに沢山質問できる環境、浪人生しかいない(=校舎が静か)という環境も整っており、それらの環境全てが勝因だったと思います。大学入学後、浪人経験をした友達とお互いの予備校の話をすると、どれだけ自分が予備校の環境に恵まれていたかがわかりました。表町校は全国で一番の予備校だと思います。大学生になった今、緩い生活が続くと、“あの熱かった浪人時代に戻りたい”って思うぐらいなんですよ(笑)。」

 

 

現役時、センター74%、
1年後、86%で群大医学科合格!

吉田 君 ≫≫ 群馬大学(医学科)進学/ 前橋高校卒(2014年)

 

「お前は二浪しても国立医学科には受からない」

 吉田が高校の先生に言われた言葉だ。非情な言葉であるが、あながち間違いでは無かった。

 

 吉田は父の影響で幼い頃から医師になりたいと考えていた。高校入学直後の試験ではぎりぎり100番以内にいたが、1年生終盤には200番付近まで落ちていた。二年生の後半に一念発起して勉強を開始。多少順位は上がったが、3年生の夏には勉強に行き詰まりを感じていた。秋・冬の模試は5-7科目で70%前後しか取れなかった。もはや医学科どころではなかった。11月末からのセンター形式の大量演習にてセンター試験本番は74%(自己ベスト)まで伸ばせた。しかしこの時点で国立薬学部も全く勝負にならない状態だったので、浪人覚悟で前期は秋田(医)を受験した。後期は埼玉(理)を受験したが、それも不合格だった。 後期試験の結果が出る前に予備校選びを開始した。検討したのは大宮のSKY。しかし大宮に通う事・寮生活のどちらも気乗りしないし、両親も反対だった。インターネットで東進三河校のホームページを見つけ、小野池と比較した。ホームページを見て、拘束制度に惹かれた。この制度が自分には必要だと感じた。そして知り合いのS先輩が三河校で浪人生活を送ったと聞いていたので、S家に三河校や拘束制度の部分を質問した。S家の勧めもあり、説明会に参加することにした。説明会にて拘束制度の必要性を聞いたときに「良く考えられた仕組みだな」と実感し、すぐに入会手続きを取った。

 

 入塾直後の4月のマーク模試。ほぼセンターと同じ結果だった。

 

 吉田は順調に講座を受講していったが、物理で問題が起きた。講義の問題レベルにだんだんついていけなくなっていったのだ。講義を聞けば理解できるが、予習の段階で歯が立たなくなっていたのだ。しかし、受講ペースを気にするあまり吉田はそのままセミナー物理を並行しながら受講を進めていった。6月の模試・そして8月の模試。ともに物理は伸び悩んだ。

 模試直後の副校長との面談。「物理については既習分野と未習分野の得点率が変わっていないぞ。チューターを交えて相談しよう。」8月でも同じことが続いたので、吉田は思い切って物理の受講を停止した。勇気の要る決断だった。チューターに頻繁に相談し、三河校の参考書コーナーから「物理のエッセンス」と「良問の風」(基礎的な参考書)を見つけて電磁気の分野を基礎からやり直した。一通り基礎学習した後、講座に戻ることにした。すると講義問題を予習で解ける個所が出てきたのだ!感激だった。そこから受講を再開した吉田はどんどん物理が得意になっていった。そして11月の難関記述模試。物理97点/(100点配点)を叩き出した。

 また、センター数学についてはスピード不足に悩まされた。大澤副校長に相談したところ、いくつかの指示が出て、〝ラップ作戦″を実行した。それも非常に効果的だった。11月の河合マークで素点トータル78%。他社模試では大幅換算になるので初めてE判定を脱出できた。12月の代ゼミセンタープレでは素点でトータル86%。めちゃくちゃ嬉しかった。そこからセンター本番までは、スピード養成に力を入れて学習した。

 

センター初日。古文で引っかかり、小説が終わらなかった。頭が真っ白になった。取り返そうと気負った英語もダメな感覚だった。その日は家のコタツにこもっていろいろ考えた。

 

「この一年でやってきたこと。停滞したり、伸びたり、毎日9.5時間以上勉強した日々。明日逆転できるのか?計算してもわからない。とにかく寝よう。とにかく二日目に行こう。」そんな気持ちで家を出発した。二日目の吉田は、高得点を連発した。結果的には5-7で86%を出せたのだ! 難化した平均点やリサーチを見て、勝負できることを確認。前期試験に向けて前向きに勉強できた。群大の理科は予想通り難化していたが、ある程度解答できた。

 

 運命の3月8日。

 

 母を別室に待機させて合格掲示を見る・・・自分の番号があった!合格を伝えると母の眼には涙があった。すぐに父に知らせ、親族までにその情報は広まった・・・

 そしてついに高校の先生へ報告する時が来た。先生は相当な驚きだった。「伸びていると聞いていたが、まさか1年で医学科へ受かるとは・・・頑張ったな!」

――吉田の中の何かが癒えた瞬間だった。 ―完―

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<大澤副校長より>

「高校の先生の言葉はある意味現実だと思います。一般的な予備校では70%付近の状態から医学科へ合格するのは2年かかります。(1年目で80%ぐらいまで上がり、2年目で80%後半へ)いや、前高生であってもそこまで辿り着けない生徒の方が多いです。1年で86%まで上げ二次を突破した姿は先生にとって奇跡に見えたと思います。①思い切って受講を停止して基礎をやり直したこと②9.5時間の学習をやり通したこと が勝因だったと思います。それにしても、あの面談中の失点分析で物理の異変を指摘しておいて本当に良かったです。」

 

 

現役時、センター64%、
1年後、84%で第一志望を上位で合格!

尾池 君 ≫≫ 首都大学東京(理学療法)進学/ 桐生高校卒(2012年)

 

尾池の予備校選びは、大宮を中心に考えていた。駿台や河合塾の説明会に参加したものの、模擬授業で金髪の講師が出てきたりして「本当に大丈夫なのか?」と不安になった。そこで桐高の友人のKに連絡を取ったところ、「前橋の東進衛星で浪人することにする」と教えてもらった。尾池は慌てて東進衛星に説明会の予約をとる。(黒のダイレクトメールは届いていなかった)前橋三河校の仕組みの説明を受けた。一緒に説明を受けた母親に「おまえはこの予備校でなきゃ伸びない!」と宣言された。

 

勉強よりも部活に没頭してきた尾池をみてきて、母親がそのような判断をするのは無理もなかった。尾池自身は拘束制度に耐えられるのか不安だったが、友人のKもいるしここで頑張ってみようと決意した。手続きは定員締切ぎりぎりだった。

 

4月から受講を開始し、平均的なペースで学習を続けていった。6月の模試では70%付近まで上昇したが、8月の模試では67%程度。9月には受講が終わりになり、迎えた10月の模試。尾池の得点は上昇はしなかった(69%)。

 

これだけ毎日長時間勉強して7か月経過して現役時と5%しか変わっていない自分が、残り二か月勉強しても大して変わらないかもしれない。そんな不安を抱えていた時期に、OBを招いての勉強会が行われた。

 

その内容は、全力で学習しても模試で得点が出ずに苦しんだ宮下OBの話だった。10月模試に自分の勉強の全てをぶつけて、全く成績があがらなかったOBだ。そこからマイナス思考になり、勉強が手につかなくなり、脱落しそうになりながらかろうじて勉強を続け第一志望を勝ち取ったその描写を校長が涙ながらに話した。

 

状況が自分と似ているだけに、尾池は感動で涙を抑えられなかった。尾池はこれまで取り組んできた姿勢を見つめなおした。「果たして自分は100%頑張ってきたと言えるのか?」涙を周りに見られるのが恥ずかしいので直後の休み時間で近くの歩道橋に行って泣き、「俺も宮下OBに続く!来年は俺が校長を感動させて泣いてもらえるように頑張る!」と誓った。尾池の100%のスイッチが入ったのだ。

 

そこからは、日曜も校舎に来るようになり、センターの大量演習を中心に学習した。東進ではセンター過去問演習講座がある。センター型の問題を各教科50回分用意されている。尾池はこの演習を同じ校舎の4人で一緒に時間を計って解き、採点後教え合うことにした。この合同演習は緊張感と、他人の思考回路の発見と、とにかく楽しいものだった。12月の模試は強烈な伸びを示した。演習でも高得点を連発し、かなり自信をもってセンターを迎えた。5教科トータルで84.3%!センター試験の結果を桐高の新島先生に報告したとき、その伸び幅に職員室がどよめいた。

 

二次は面接のみだったので落ちる要素がなかったが、「ゴウカクオメデトウゴザイマス。」という音声アナウンスに向かって「ありがとうございます!」と叫んでいた。尾池は、合格後も東進のメンバーと頻繁に会っている。そして、8月。今度は尾池が勉強会にOBとして呼ばれた。昨年感動した勉強会に自分が呼ばれる立場になった。秋以降にどのように成績を上げたかを後輩たちに熱心に話した。
 ―完―

 

<尾池君より>

予備校は授業を受ける場所ですが、その授業が終わってから「何をやるか?たくさんやれるか?」それが重要だと思います。他の予備校ではその作業をやらなかったと思います。拘束システムと前橋三河校の方針がなかったら合格できませんでした。それから校長の本気の涙が最高でした!

 

 

現役時、郡大工学部夜間不合格→北大総合理系合格

田中 君 ≫≫北海道大学(総合理系)進学 / 前橋東卒(2012年)

 

浪人して10か月。センター試験前日になった。この日は午後からは校長によるセンター直前ガイダンスが行われた。センターの前日まで拘束制度で勉強してきて、いよいよ明日が本番である。校長から、センター当日の心構え、対処法を一通り説明があった。また、校長自身のギリギリに追い込まれた受験体験を聞き、「どれだけ勉強してきてもそういった極限状況が自分にも起こり得る。」と心配な気持ちもあった。おそらくそこにいた生徒全員がその恐怖をイメージした。重苦しい雰囲気の中、最後に校長が、応援歌としてある曲を紹介し流してくれた。「歌詞に集中して、自分の41週間を重ねて聞いてください」。田中はその曲を初めて聞いた。歌詞を見ながらこの41週間が走馬灯のように思い返された。

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10ヶ月前。田中が東進衛星の説明会に参加したのは、後期試験の直後だった。センター試験の結果が60%ジャストで、前期は群馬大工学部不合格。後期は群馬大工学部夜間を受験した。田中は後期の結果がどうであれ、浪人するつもりでいた(ちなみに後期も不合格だった)。田中の元に届いた黒色のダイレクトメール。他予備校より簡素なものだったが、体験記に惹かれた。中でも前橋東高校のOBの体験記は何度も読み直した。俺も「赤本を積み上げて千葉大学を合格する。」という目標を立てた。群馬大学から千葉大学へ志望校を上げた理由は、“浪人するからには志望校を上げたい・ディズニーランドでアルバイトしたい(笑)”など単純なものだった。

 

三河校の説明を聞き、拘束制度・自宅からの近さ・東高校のOBの成功者が多いことなどが決め手になり、他予備校とは比較せず入学を決めた。東進衛星の入学手続きは、全額事前に銀行振り込みという特殊なものだ。田中はたまたま親と一緒に銀行に行き、母親が振り込む瞬間に立ち会っていた。今までに見たことがない一万円札の束が視界に飛び込んできた。大金を振り込む母を見て「今年死ぬ気で頑張らねば」と誓った。田中は勉強時間中に一度も寝ることなく、欠席することなく、日曜日もすべて登校した。

受講も8月末にはほぼ終了する勢いで、9月から大量演習できるように全力で学習した。しかし、成績は簡単には上がらなかった。8月の模試で成果が出なかったのだ。模試後に落ち込んだ田中を励ましたのは多くの予備校内の仲間だった。昼食夕食休憩などを通して、田中には多くの友人ができていた。決して足を引っ張るような関係ではなく、お互いをライバルとして戦友として高め合う仲間だった。9月かはら仲間のO君やS君達と予備校が開館する前に7:00にマックへ集合して9:00まで勉強することにした。これにより正味勉強時間が13.5時間へ激増した。勉強時間も、週80時間を超えた。やりたい学問が見えてきた事もあり、志望校を北大に上げることにした。秋以降、副校長の大澤先生と相談しながら二次教科を中心に学習し、12月から一気にセンターモードに切り替えて勉強した。この41週間は、高校時代には考えられないほど勉強に集中してきた。

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曲が終わると、自然と涙が流れた。周りの生徒たちに気づかれないように抑えたが、言いようのない感覚にとらわれていた。本番前日にして「充実した浪人生活だった。」という達成感に近い気持ちだった。多くの受験生・保護者の方は、「成果の出ない受験勉強は 無駄。残念。失敗。」と評されると思う。しかし、田中は明日の結果がどうであれ、これだけ頑張れた自分に満足して晴れやかな気持ちで涙していた。田中だけではない。ブースのあちらこちらですすり泣きの声が聞こえてきた。みんなも同じ気持ちだったのだ。それぞれの生徒に苦悩の日々があり、それに押しつぶされそうになりながら励ましあって今日まで教室で勉強を続けてきた。

田中:「校長の勉強会・ガイダンスは綺麗事ではなく、生徒の不安苦悩の気持ちを感極まりながら鋭く描写・応援してくれる。その迫力にみんな感動してました!」

 

二日間のセンター試験が終わった。結果は79%でまずまずだが、北大換算では75%になってしまう。センターリサーチでは、DやEが並ぶ。田中は千葉に戻すべきか悩んでいたが、校長は「北大を受けてみろ」と背中をプッシュした。「本人の秋以降の北大プレと過去問10年分の各教科平均点をすべて計算し、通常のパフォーマンスを発揮すれば逆転できると計算していました。」と校長。田中は出願を決意し、出発の日まで全力で勉強した。校長の読み通り、田中は二次で高得点を叩きだし、余裕をもって合格した。合格開示ではかなり良い順位での合格だったのだ。

 

3月16日。この日が予備校に来る最後の日。校長から大学生活におけるアドバイスや、受験勉強の総括などが伝えられた。荷物の整理を終え、写真を撮り、それからみんなでカラオケーパークサイドになだれ込んだ。そしてみんなで “あの日の曲” を歌った。事前に準備や練習をした訳でもないのに、20名以上の男女が生徒が自然に肩を組み、マイクも使わず大合唱になった。まるで部活の引退式のような雰囲気で田中の浪人生活はピリオドを迎えた。

~完~

 

<田中君から後輩へ>
この一年間は、とても充実していました。勉強は大変でしたが、つらいという気持ちはなく、充実した日々でした。三河校の環境(スタッフ・仲間・制度 etc)がそう思わせたのだと思います。自分の合格は、一人では掴めなかったと思います。たくさんの仲間、とりわけ朝マックを引っ張ってくれたO君と共に勝ち取った合格です。一生の仲間ができました。これから三河校で頑張ろうとしている方も是非高め合う友人を作ってください。

 

 

現役時、センター5教科で47%、
浪人時、センター5教科で80%、歴代最高33%伸びの奇跡!

笹澤 君 ≫≫千葉大学(経済)進学 / 市立前橋卒(2011年)

 

笹澤は、高校3年間、野球部に属していた。引退までは英単語をやるのが精一杯。本格的な受験勉強は引退後からだった。9月に個別指導の塾に通ったが成果が見えないため、冬からは他の塾に移った。数学については伸びを感じて、23時過ぎまで毎日勉強に打ち込んだ。

高3のセンター本番では5教科トータルで47%。普段の力を出せればもう少し取れたとは思うが、いずれにしろ群大は絶望的だった。「とにかく浪人だけはしたくない。」の一心だった。

 

高崎経済の中期なら教科数も少ないし、二次比率が高いのでそこに望みをかけて全力で勉強したが。しかし13日の発表では不合格。滑り止めの日本大学に進むことを考えていた。「奨学金を使えば、国立と学費がトントンになる。」しかし、私立進学では、4年間のキャンパスライフが貧乏生活になるのは目に見えていた。自分のアルバイト代も学費に充てるからだ。

 

熟考の末、「一浪で国立に進学したほうが良い」という結論にたどりついた。電車通学が嫌なのでKGRか東進で比較した。拘束システムと超有名講師が決め手で東進に入学した。

 

志望校については、明確に決めていなかった。「○○大学を目指す」と友人に吹聴→「結果不合格」という 痛いビックマウスに成りたくなかったからだ。市立前橋では、学年最上位層が現役で群馬大学に進学する。 センター47%の自分が1年がんばって、群馬大学、あわよくば埼玉大学に合格するのが精一杯だと思っていた。千葉大学という憧れは極力内に秘めていた。とにかく、センターの得点を上げることに集中しよう思っていた。

 

東進では、4・6・8・10・12月にセンター試験型の模擬試験がある。4月の結果は47%。センター本番と同じ得点だった。笹澤は春から夏にかけては、英語・数学・国語を中心に受講をする計画にした。効果はすぐに現れる。

 

4月の英語109点→6月の英語173点。4月の国語87点→6月の国語168点。
トータルでも66%にまで伸びた。

 

この時点で東進での学習法を確信した。「浪人生活前半から全力で勉強し、伸びのサイクルができたのが大きかったと思う。」

 

東進では、日曜は自由登校になっている。月~土は12時間も校舎に滞在するので、7割の生徒は日曜はOFFに充てる。しかし、笹澤はほとんどの日曜にも登校した。「自分の人生がかかっている。日曜に休む理由などないです」と。

 

その後、理科、社会に着手。地理は受講したもののなかなか成績が上がらずやきもきした。また、一度上昇した現代文が他教科と格闘している内にスランプになり、演習しても元に戻らない事もあった。友人Hの勧めもあり、春に受講した授業を、冬に再受講することにした。

 

「映像授業ならではの武器だと思います。もちろん、初回受講した時のノートはあるのだけど、授業って板書だけが大事なのではないんです。
板書しない先生の発言部分に伸びるエッセンスが詰まっていたりする。数ヶ月経つと、先生の発言した箇所の記憶は薄れていく。再受講することで発言部分の復習ができました。これで元の状態に戻すことができました!」

 

10月の模試ではトータル67%。12月の模試ではトータル74%まで伸びた。校舎滞在(12時間)の前後でも友人Aと2時間勉強した。

 

センター本番を迎える。ベストをつくした。 自己採点、79.6%。センターが成功したため少し気の緩みが出たが、前期で千葉大学法経学部、合格。

 

合格した瞬間に「勝った~!!!」という思いが駆け巡った。
何に対してか?それは「自分に」であり、「受験に」でもあり、語弊を招くが「市立前橋の歴史に」※1である。

 

合格した事実は、いろいろな経路で市立前橋の後輩達に広まった。職員室に報告した際には、先生達が歓喜の声をあげてくれた。もちろん親戚も両親も友人達も。

 

<笹澤君から後輩へ>

※1:進学校でない生徒は、天井を決めている人が多いと思います。自分も「市立出身だから○○大学が限界」と思っていました。
浪人するからには、過去の進学実績を自分が塗り替える気持ちで勉強してください。進学してみると、千葉大学の中の群馬出身の生徒は、Top6(前高・女、高崎・女、太田・女)の生徒がほとんどです。その中に市立出身の自分が居る。一瞬「場違いだな」と思う次の瞬間、自分のやった事(浪人での伸び)の大きさを実感します。「こういう世界に来たんだな」と。
そのような1年を目指すならば、前橋三河校はお勧めです。ゆるい浪人生活を送りたいならお勧めできません(笑)。合格した事実もそうですが、三河校の中で勉強の習慣・方針が身についたのは一生の財産です。2ランク以上のUPに偽りなしでした。

 

<田中校長から>

合格大学がどのレベルであれ、1年間の伸び幅が一番評価できると思います。5教科伸びの最大記録を出せたことは私自身の自信・励みになりました。今後、20%以上伸びの生徒を多く排出し、33%伸びを超える生徒を排出できるように日々改革を目指します。
笹澤君、ありがとう。君は市立の生徒や東進の生徒に希望を与えてくれました。

 

 

現役時、センター5教科で70%、
浪人時、センター5教科で87%、千葉(薬)・慶応(薬)など全勝!

荒川 君 ≫≫千葉大学(薬)進学 / 前橋育英卒(2010年)

 

現役時代の荒川のセンターの結果は5-7で70%。国立薬学部には全く届かない場所にいた。したがって、前期中期後期は未出願。センター利用で東京薬科が取れていたが、私立一般では慶應(薬)と北里(薬)を受験。北里は補欠まで進めたが、待っても合格通知は届かなかった。
東京薬科に進学することも考えたが、「もう少しレベルの高い所へ行きたい」という自分の気持ちには逆らえなかった。両親もその気持ちに同意してくれて予備校選びが始まった。

 

高崎の代ゼミを見学に行った。見に行った印象は「代ゼミは悪くないな」と。その後、東進衛星前橋三河校の説明も聞きにいった。実は「荒川は、高2の終わりから東進衛星予備校の他の校舎に通っていた。

 

だから東進のデメリット・メリットは分かっていた。ただ、前橋三河校は他の校舎とは大きく違う点があった。それは、①浪人生主体ということ。②勉強時間の拘束があること。荒川は②の点に非常に惹かれた。というのも、現役時代、勉強時間にかなりムラがあったのだ。東進の授業の前後の自習が疎かになったり、帰宅後のTV(ゴールデンタイム)などだ。前橋三河のシステムなら一年間通して誘惑に勝てると感じた。ただ、現役時代と同じ方法で勉強をして伸びるのか?という疑問もあった。高3のときにも多めの講座を受講していたが、東進全体の授業種類のごく一部でしかないし、新たな講座に期待感があった。

 

受講プランは慶應と千葉を両方狙えるものを作り上げた。早慶大対策化学で化学をかなり仕上げることに成功。また今井の英語B組で英語長文を早く読めるようになってきた。

 

しかし、順調に成績が伸びていったわけではない。東進では4月→6月→8月 ・・・というペースでセンタープレを受験していく。右肩上がりを狙って勉強しているのとは裏腹に、得点はほとんどあがらない。8月でようやく少し上昇した。
この頃は国語と現社で伸び悩み「慶應一本で3教科に絞ってプランを組めばよかった」とも思っていた。転機は10月の模試。英語が170~180点で安定してきたのだ。11月の他社模試で国語・現社も上昇。12月の東進センタープレでも、トータル自己ベストを更新。

 

そしてセンター本番。2010センターはかなりの難化であったが、自己ベストの87.2%を叩きだしたのだ。

 

バンザイシステムなどで検索すると、群馬大医学科がB判定。医学部という選択肢が出現したが、「化学が好きなので薬学部」という気持ちに落ち着いた。

 

前期で千葉(薬)に合格。慶應(薬)・東京理科(薬)も一般で合格。一年前にフラれた北里は特待合格。以下の私立もすべて合格。全勝だった(千葉も得点開示でベスト5に入る上位合格でした)。

 

「とにかく、あの時、北里の補欠が来なくて良かったです。あの時補欠が来てたら進学してた」。

「同じ薬学部でも、上位の薬学部ならば薬剤師ではなく、大学院進学→創薬として大手薬剤開発職の道が開けます。これは医者の年収も上回る花形の職業です」と校長。

千葉大学の生活はとても充実したものだ。スキューバーダイビングサークルに入り、バイトもこなす。1年時は授業コマ数が少ないので、いろいろな事にチャレンジする日々を送っている。

 

~校長より~
荒川君は高校入試で中央高校(中央中等の前身)に不合格にての前橋育英 進学とのことでした。それらを払拭する結果を得られたと思います。「前橋育英卒の生徒が慶應大学を蹴る」というのは、伝説に近い事だと思います。それだけの事をやってのけた。後輩達にもどんどん続いて欲しいですね。
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Q 浪人生活はつらかったか?
「3月に予想していたほど、浪人生活はキツくなかった」という事です。生活にリズムができていたので、そう感じたのだと思う。次の日にやることが今日見えるので、それをこなす感じでした。
Q 現役時代と同じ教材を使って、なぜ+17%を達成できたのか?
「講座は現役時のも良かったですよ。やはり勉強量なのだと思います。なので現役時代に東進衛星に通っていた人がもし浪人を決意するならば、前橋三河校を検討するのは有りだと思います。」

 

 

現役時、センター5教科で57%、
浪人時、センター5教科で72%、志望校を手に入れた1年。

桂 さん ≫≫東京学芸大学進学 / 前橋東卒(2010年)

 

今、この体験記を読まれている方達はどのような心境で読まれているでしょうか?卒業式が終わり、前期の発表待ち、もしくは後期の発表待ちの状況でしょうか?今、発表を待っている大学は、元々の第一志望でしたか?

 

桂の3月は、ほぼ見込の無い群大教育(障害児コース)の発表を待ち、押さえの文教大学(文)に進学しようかどうかを考える日々だった。

 

正確に言うと、その先(進学か、浪人か?であるならば予備校を調べ)を考えるのを拒否していた(群大教育を前期・後期通して受験。後期の定員は3名のみなのに、試験会場には前女の友達が居たり、小論も書けない自分がいたり)。

3月22日に「後期も不合格」という事実を突きつけられて、文教(文)に行くか浪人するかを真剣に考え始めた。父からは「学費を出してあげるから文教に行きなさい」と言われた。文教のパンフを眺めては、「キャンパスライフが楽しそうだな」とも思った。ただ、「やりたくない事(文学部)を4年間やれるかな」と思い、次第に浪人に気持ちが傾いていった。

 

やがて父に「浪人したい」と申し入れ、同意が得られたので、予備校選びを開始した。桂は、今まで学習塾・予備校に通ったことが一度もなかった。まずは、KGRの春季講習に参加した。その後、代ゼミと東進も説明を聞きにいった。

 

桂は「東進は映像授業=放送大学」のイメージを持っていた。だが、体験授業を受けてみると、全く印象が違った。もっと臨場感のある楽しいものだった。帰宅後、母に東進の映像が思ったより良かったことを伝え、KGRといろいろな点で比較した。学費が年間通して東進のほうが20万ほど高いのが引っかかっていた。母との相談の中で、「あなたか一番やりやすい方法でやりなさい(値段で比較しなくていい)」との一言で、3月末(※1)に東進への入学を決意した。

 

まず、現役時代、かなりの時間を投資したのにもかかわらず報われなかった化学を生物に変更することにした。東進では、超基礎の生物講座から始められたので、まずはそれを一気に受講して、センター生物の講座へ進むことにした。また、群大であるならば数学②を避けて理科2つでも可能。しかし、高校1年の時にあこがれていた大学=東京学芸大学の入試課目は数学をふたつ。高2~3年の中で、成績によっていつの間にか消えた第一志望。浪人するからには学芸大学をめざして勉強することにした。

 

浪人コースで選択できる授業は14講座。この14講座で5教科+小論文を最適な形で講座を選んでもらった。未履修の数学Bと初めての生物は超基礎から。得意の国語は応用から。「14講座ともすべて満足のいく授業でした。特に今井先生の授業は、受験英語の捉え方が180度変わりました。英文法問題をどこから疑えばいいか分かるようになりました。更に、毎時間爆笑がついてくる授業でした!」

 

東進では、夜であっても時間割通りに机に座らなければいけない。つまり他の予備校のように、①自習中に声を掛けられて雑談に誘われたり、②早く帰宅したり、③休み時間の延長に突入したり、ができない仕組みである。桂にはこの点が非常に良かった。高校時代に部活で部長だった桂は友人達の相談役になってしまう。しかし、それの連続だと自分の勉強時間が大幅に削られることにつながる。「東進三河校の勉強に打ち込める空間」が桂の勉強時間をしっかり確保し、桂はどんどん成績上昇していった。10月の模試で、東京学芸A判定が出せた。やっとまわりのみんなに「学芸目指してる」と言ってもいいかなと思えるようになった。ただ、上がったと思ってしまうと気が抜けるかもしれないので、そう思わないように自分にまだまだと言い聞かせた。

 

2010のセンターは全体で難化。数学IAの難化には特に悩まされたが、予定通り東京学芸を受験。前期の合格発表。自宅のパソコンにて掲示板を見る。あと一行下げれば自分の番号。母と妹は別室に避難させて自分で確認した。

 

ボタンを押す……………絶叫とともに、涙が自然と流れた。

 

1年前のリベンジというよりも、高1の時の自分に対して人生の道を作れたこと。1年前に途切れた道を、過去に遡って繋ぎ直せた。昔パンフレットを見て、漫然とあこがれていた大学に、ホントウニイケルンダ…

 

<桂さんから後輩へ>
あのとき文教に行かなくて本当によかったです。それと、浪人生活は辛いというよりも充実の日々でした。受かったから言えるのかもしれないけど、①浪人生活で自分を律して勉強し続けれたこと。②東進の講師の授業を受講できたこと③田中校長に出会えたこと。(私にとって、勉強以外の面でも尊敬できる人物との出会いでした) 等を考えると、たとえ第一志望とれなかったとしても浪人生活は凄く財産だと言い切れます。決して 浪人=辛い ではないと思います。

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※1:浪人コースの定員締切りスレスレでの入学でした(この年は3月31日で満員に達し、4月1日以降は入学をすべてお断りしました)

 

 

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