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前橋表町校 体験記 私立編

※体験記は三河校時代の物も含みます。

 

 体験記を製作するにあたって、どこまで個人情報(成績や、受験の合否)を掲載するか悩みました。前橋表町校では、「特待生(最初からできる生徒)制度に頼らず、各個人がどれだけ伸ばせるか」をテーマにして運営しております。伸び幅をお伝えするために、ある程度情報を掲載する決断に至りました。(生徒さんに同意をいただいております。)

 

 

現役時 E判定
1年後、第一志望 上智大学 合格!

大泉 君 ≫≫上智大学 合格 / 新島学園卒(2016年)

 

 4月中旬- 

 大泉は前橋表町校の受付で頭を抱えてうずくまっていた。これまでの数学の勉強が全否定され、途方に暮れていた。「俺は今まで何て無駄なことをしてしまったのだ。全てやり直しじゃないか!」10秒以上動けなかったー

 

 大泉は高1から他の東進衛星予備校に通っていた。受講して確認テストを通す。あまり深く考えず、それを3年間やり続けていた。それが受験勉強のやり方として正しいと思っていた。表町校に入学して 新しい授業を受講し始めたものの、何か昨年と同じ(伸びない)になる気がした。数学の勉強会の前だったが、校長に勉強法を相談してみた。

 

 「今 受講している〝ぐんぐん数学のテキストとノート“を持ってきて。」校長がノートをバンバンめくり、時にその数式を眺め、いくつか大泉に質問をした。

 

 「この姿勢で漫然と受講しても全く伸びないぞ。数学の学習は、予習時に○○して、復習時に▽▽をする。それをしない限り、どの講師の授業を受けても身に付かない。君の学習法は伸びる要素が全くない。このノートがそれを物語ってる。」

 

 -うずくまった大泉だったが、受付で聞いた学習法は非常に納得の行く方法論だった。後日の勉強会でさらに詳しく説明をされ、大泉はすぐにその学習法に変更した。模試後に行われる失点分析面談においても、大泉の問題冊子の痕跡を見て、「君は空間ベクトルの基本的姿勢が違う。座標に頼るな。」「場合の数が弱いのは、計算式の再現力が無いのが原因。しばらくは再現図を書いて式を実感しろ」と副校長・校長・チューターに何度も指導された。

 

 英語については幼少期から英会話を学んできたことにより、易しめな文章を読解・会話することには慣れていたが、上智のような難関大の英文には全く歯が立たなかった。表町校では夏までは5文型による精読が主体となる。英語は直読直解の積み重ねで向上すると思っていたが、こういった学習法があることを全く知らなかった。ただ、難関大英文読解の講座は復習法が難しくスタッフに相談したところ、目次的な復習+体系的理解 を提示され、これを実行したのが転機になった。その後もチューターに品詞の重要性を叩き込まれ、大泉の英語力は受験英語にフィットしたものになっていった。数学とは対照的に、早い段階から読解力の向上を感じていた。もちろん、英語は武器になっていった。

 

 順調に学習していたころ、大きな試練が訪れた。

 

 食あたりになり、夜中に日赤病院に駆け込んだ。41℃の高熱が出て点滴を受けることに。強い薬で胃腸がボロボロになった。2週間は全く勉強できず、腹痛自体は1か月続いた。なんとか治し、勉強を再開したものの、忘却が進んでいたこと・遅れたこと・焦り から今度は耳鳴りが起こるようになっていた。これだけ長期間体調不良になった息子を見て、母親は “今年の入試はもうダメだ”と覚悟した。

 

 それ以降、食事は全て母親が管理をした。鍋中心のメニューにして支えてくれた。

 

弱点だった数学は学習法を改善しつつも、なかなか模試の結果には現れなかった。12月になっても模試や過去問においては数学が足を引っ張る状態だった。1月に入りようやく上向いてきた。成果を感じたのは 法政大学の試験中 だった。

 

 「数学が解ける!」

 

 数学の満点近い手ごたえだった。続く 明治も数学が一番解けた。第一志望の上智においても数学が一番の手ごたえを感じることができた。

 

 中央の試験日当日。 明治と上智大学の発表の日になっていた。「落ちていてもがっかりするな、俺はここまでやった、胸はって他の大学に行こうじゃないか」と思いながら発表を見た。

 

 試験の休み時間に上智の合格を知り、帰宅の途に就いた。うれしい気持ちで一杯だったが、その日は疲れて寝てしまった。後日、大泉の自宅には何冊もの合格通知が届いた。昨年は1通も見たことのない合格通知が今年は山積みになった。それを見た時に涙がこぼれた。―完―

 

<本人から>

「数学についてはこの1年間で取り組んだ事が、ようやく実を結びました。結果的には一番伸びた教科でした。あと1か月入試が早かったら合格できなかったと思います。また、上智大学の英語の講義において、5文型英語は今でも役に立っています。上智には直読派の友人も多いですが、彼らはRWで苦労しています。 自分は浪人生の内に5文型の学習を経験できたので本当に良かったです。そういった技術的な指導、またガイダンスを通して不安な心の整理など、沢山の事が学べて本当にこの校舎を選んでよかったです。合格体験記に選ばれるのは光栄です。」

 

 

現役時、日本体育大学不合格。
1年後、早稲田大学(スポーツ学部)へ合格!

大川 君 ≫≫早稲田大学(スポーツ科学部)進学 / 前橋高校卒(2014年)

 

 大川が前橋高校に入学したのは、部活動の実績を考慮された前期入学。従って、入学直後の実力テストは学年で下から2番目だった。ショックを受けて、すぐに勉強はあきらめた。卓球中心に過ごした3年間であった。赤点になりそうな教科は救出課題がでるのだが、大川はこれを無心で作業のように書いて何度も凌いできた。(例えば英文をノート40ページ分など)この時に身に付けてしまった”作業書き”がこの後、重くのしかかることになる。

 

 受験大学は全て不合格になり、地元の東京福祉大学に追加出願するかを悩んでいたが、両親と相談し、浪人することにした。大川の手元には、代ゼミと河合塾の案内が届いていた。大川は代々木ゼミナールの説明会に参加し、入塾するつもりでいた。浪人をすると聞いていた友人のU君と予備校についてのやり取りをした。「予備校どこにするの?」―「俺は東進三河校にする」という短い会話だったが、U君が決めるぐらいなら良い予備校かもしれないと思い、大川はすぐに説明会の予約をした。説明会参加後の大川は興奮していた。興奮しながら東進の良さを話す大川を見て、両親は入学の許可を出してくれた。「拘束制度にビビッていたのですが、両親の許可が出れば短縮可能ということで安心しました(笑)。校長の説明内容が嘘臭くない事と、全教科自分の学力に合わせたレベル設定が決め手でした。」と大川。

 

 入塾後すぐに4月センター本番プレが行われた。英語は46点、他教科もすべて50%以下で5教科トータル43%だった。群馬大学の教育学部を第一志望にしていたが、ボーダーまで20%以上開きがあった。受講はやや遅いペースながら進んでいたが、6月も受講教科はほとんど成績が上がらなかった。8月も微増だった。英語は英文法→英語構文をやり終えても10月の時点で英語は89点だった。10月の失点分析面談で校長がおもむろに大川の単語帳を手に取った。「○○の意味は?△△の意味は?…」単語・熟語を10数個出題されたが、大川が答えられたのは2〜3個のみ。大川はこれまであらゆる単語の学習法を試していたが抜けも早く、続かない状態だったのだ。校長はこの状態を見て「暗記ペアを組むしかない」と判断した。暗記ペアをやれば少なくとも続かないということは無くなる。暗記ペアの相手が女子ということもあり、恥をかきたくない一心で大川は本気になるしかなかった。しかし、どのように単語を入れるか?

 

 大川は現社の授業でもただ書いているだけになってしまい、校長に”理解して書くとはどういう事なのか”を実演してもらっていた。最終的には理解を絵にまとめる手法を取っていた。それを応用して、単語のイメージを絵で描くことにトライした。

※参照:このやり方を試したところ、これまでにないインプット率になった。200単語はこのやりかたで覚えてからは、やがてこれを省略して覚えられるようになった。前高時代に身に付けてしまった、作業書き。ようやくこの時、”能動的な書き”にチェンジできた。

 

 これにより、大川は英単語を飛躍的に覚えていった。直前期には英語速読で苦しんだこともあった。三河校(現表町校)では夏までは速読ではなく精読中心で学習を進める。そこから速読化へ移行するのだが、大川はうまく移行できなかったのだ。校長に実際の模試の英文を使って直読直解を実演してもらいヒントをつかんだ。直後の12月のセンタープレ。ついに英語が150点台まで伸びた。英語が伸びたことにより、早稲田のスポーツ科学部のセンター利用を出願することにした。競技実績利用の場合はベスト3教科だ。入念な実績資料を作り出願した。大川の卓球実績だとしても、合格にはセンターで高得点が必要だった。

 

 ついにセンター本番。5教科トータルで自己ベストが出せた。群馬大学はA判定で出願できた。そして、2月9日早稲田の合格発表の日。両親と3人でリビングに集まった。電話をスピーカーモードにする。

 

「オメデトウございます」

 

 一斉に皆が湧いた。その後のアナウンスが全く聞こえなかったので、もう一度聞き直した。大川が毎日原付で通う姿を心配そうに見ていた祖父祖母は、泣き崩れた。知り合い・親戚に一斉に合格が伝わっていった。これにより、群馬大学は未受験にすることにした。

 

前高の職員室に入った瞬間。「おー」拍手がでた。既に先生方に知れ渡っていたのだ。次々に祝福の言葉が続いた。校長先生にまで祝福された。厳しかった手島先生にも祝福されてうれしかった。問題児だった自分を先生方は心の中で応援していてくれたのだ。

 大川はまたひとつ幸せを感じたのだった。

―完―

 

<校長から>

書くという行為にはいろいろな側面があります。①メモとしての書き、②整理させる書き、③インプットとしての書き、④アウトプットとしての書き、そして危険な ⑤作業としての書き。

 

⑤は不合格に直結します。

 

どんなに良い教材でも作業として書いている内は伸びません。大川君はほとんど教科において作業書きになってしまっていたので、何度も①~④を実演して伝えました。大川君の成功により2014年から「作業から能動へ」「暗記ペアの全員実施」をテーマにして運営しています。

 

 

滑り止めを蹴って浪人決意。
10か月で、慶応(環境)・青山学院合格!

須永 君 ≫≫慶應大学進学 / 桐生高校卒(2013年)

 

3月、滑り止めに進学するかどうか…。須永は悩んでいた。当初は浪人したくないという気持ちが強く、進学するつもりだったのだが、周りの友人達の中で“浪人して上を目指す”という話が日増しに増えてきたこと、“部活の友人が早稲田や立命館という上位の大学に合格した事”などが後押しになり、浪人を決意した。知り合いの先輩が前橋三河校で成功していたし、板書写しが遅い自分には映像授業の方が合っている気がした。

 

4月13日から、拘束制度で勉強開始。ただ、周りの生徒に比べて・予習・復習作業に手間取り、また、単語の学習に時間をかけるあまり、授業の進みはかなり遅くなってしまった。その結果、6月・8月の模試では成績は全く伸びず、「自分の勉強法を変えたい・変えなきゃダメ」と強く思った。

 

受講が順調に進んでいた数学でさえも伸び悩んでいた。8月末から受講する“テーマ数学IAIIB”の受講中からは、校長が実施した数学勉強会での手法を試すことにした。思考型数学の勉強法だ。「今までは、予習して、受講して、復習する。単にそれだけでした。何か受動的な学習だったと思います。校長の数学勉強会を参考にして、受動(暗記)から能動(思考)へスタイルを変えたことによって、数学の成績をかなり伸ばせました!」と本人。

 

11月のある日。

 

須永は校長と面談をしていた。前橋三河校での面談は「模試の失点分析をもとに勉強方法の改善」がメインである。下記に須永の失点分析を掲載する。

この失点分析表は模試の翌日に全教科とも本人が記入していく。間違った問題と、自分で考える具体的対策だ。その後の面談ではこの対策が正しいのかどうかを検証していく。10月末の模試では古文が足を引っ張った。須永はその原因を単語不足と自己分析していた。校長が10月の古文の勉強内容を聞き、須永の試験中の頭の動きを聞いて、原因が単語では無いと感じた。すると面談中に校長があるOGに電話をかけた。「もしもし?田谷さん?古文の勉強法について確認したいことがあって。古文で苦戦している生徒がいて、○○という症状があるんだけど、敬語が疑わしいと思うのだが、田谷さんはどの精度で…(10分以上会話)…ああ、やっぱりね。じゃあこの3つの方針で行きます。ありがとう」。

この電話のやりとりで11月の古文の方針が決まった。体験記に載っているOGの直接のアドバイスが的確だったし、校長がそこまでしてくれたことが須永には嬉しかった。須永はこの作業をしっかりこなし、主語とりを間違えることが極端に減っていった。

 

秋以降も、模試の得点が上下しショックを受けることもあったが、次にやることの計画を立て、それをこなすことに集中することで悪いことを考えないように努めた。昼食時に友人と楽観的なトークをすることで気持ちが楽になった。

 

センター試験は最初ということもありかなり緊張した。しかし、青山学院の数学でかなりの手応えを感じ、本命の慶應の試験日。抜群な手応えではなかったが、対策が充分できなかった小論文も納得のいくものが書けた。

2月27日。先に早大の発表を見た。不合格だった。そして慶大。合格の文字が飛び込んできた!「ウソでしょ!?」と家族の反応。あわてて父に連絡して、須永家は歓喜に包まれた…。

 

<本人から>

“体験記に載る“という事で私なりに三河校の何を伝えるか考えました。一番伝えたいことは、“前橋三河校では症状に合わせてたくさんの勉強法を提示してくれる点”です。毎回、面談の中で新しい方法が見つかり、それを試していく。これにより私は伸ばす事ができました

 

※一つの方法でうまく行かない時にどう向き合うかー

 

慶應の環境情報での小論文で“問題解決型学習”のテーマが出題されました。私はこの1年で試みた学習法の改善のプロセスと考察を書き、合格できました。これからの学問・社会での仕事においてもこの経験を大事にしていきたいです。

 

 

4月センタープレ34点→本番175点。
英語伸び幅、歴代最高記録!
ゼロから受験勉強開始〜1年で同志社・立命館・学習院合格!

清水 君 ≫≫同志社大学進学 / ウィザス高校卒(2013年)

 

秋まで専門学校を考えていたアルバイトをしていた清水が、冬になると大学受験を考えていた。12月になってから英単語の勉強を開始してFランク大を受験。ほとんど勉強していないのに合格したことで逆に不安になった。「本当にこの大学で良いのか」と。いろいろ調べていくと、MARCHと呼ばれる大学があることを知った。ちょうどその頃、黒いダイレクトメールが届いた。逆転合格者を多数輩出している予備校だったので、もっと上のレベルの大学に合格できるかもと感じた。すぐに説明会に参加し、入学手続きをした。

 

入塾当初のセンタープレでは、英語は34点。これが実力のすべてだった。現状を受け入れつつ、受講を進めた。映像授業は知的感動の連続だった。英文法授業を受講し、目次的復習法(注1)で復習していき、構文授業に進んだ。この構文授業は大きな衝撃だった。清水:「英語に文型があることを知りませんでした。この授業によって構文を活用しながら長文を読む楽しさを知りました。構文の魅力にハマりました。」清水は、その後も構文を徹底的に磨くことにした。校長から指示された問題集を並行し、さらに上の構文授業へすすんだ。この効果は毎回の模試で現れた。4月には34点だったが、6月には81点、8月では115点と、どんどん上昇していった。また、政治経済も順調に伸びていった。12月に得点の伸び悩みを経験したが、直前のセンター演習では自己ベストの得点が出せるようになっていった。

 

センター本番。机がガタつく環境であったが、英語175点、政治経済97点。これでセンター利用私大の目途が立った。第一志望の学習院もかなりの手ごたえで合格を手にした。そして、立命館も同志社も合格した。一般入試で受験した大学は全勝だったのだ。どうせなら早稲田も受験しておけばと軽く後悔した。

進学先をどこにするか?関西圏における生活に一抹の不安を感じ、校長に相談。同志社に進学したOBに連絡を取ってもらい4年間の様子を聞き、また、再度現地へ行って同志社に決めた。

 

それから4か月後の7月―

 

大学生になった清水は再び、前橋三河校を訪ねていた。自分が生徒の時に聞く側だった勉強会に、今度は自分が話す側として参加することになった。食事室に30名以上の希望者が清水の勉強会を聞き入った。

清水:「自分は構文を意識して読解することを追及しました。・・・・・・・中略・・・・・・・・結局、自分にとって“構文とは補助輪のようなもの”です。無くては転んでしまう(読解不能)という意味と、最後は自然と外れていく(構文意識を卒業していく)という二重の意味で」。2時間の勉強会の後も、生徒たちからの追加質問が連続して熱気のあふれる勉強会となった。

 

清水:「今まで自分はこれだけ多くの人の前で長い時間、発表をしたことはありません。最初、緊張しましたが、自分の学習の軌跡・工夫・感覚を詳細に説明することができて、後輩の助けになったということであれば本望です。大学合格は“自分個人の成功”としてもちろんうれしかったのですが、“他人の為に活動する・役に立てる喜び”というものを知ることができました。これは合格と同じくらい大事な経験になりました」。

 

※注1:目次的復習法とは、三河校独自の復習方法です。

 

<校長より>
予備校は、合格したらその役目を終えると思います。しかし、この校舎のOB・OGは帰省時に頻繁に顔を出してくれて近況を話してくれます。そして中には勉強会を開いてくれるOB・OGがいます。合格後も関係が続く。そんな校舎でありたいと思っています
尚、勉強会の後、清水君の学習方法を2013の生徒が真似できるように、彼が使用した問題集を校舎に揃え、また、その中での学習方針を整理しました。その結果、多くの生徒たちが清水と同様の学習を取り組みました。4月プレ→12月プレの得点変化※(2012生:+33点)→(2013生:+47点)に跳ね上がりました。

 

 

 

すべり止めを蹴って浪人決意。10ヶ月の勉強で、慶応・早稲田・上智・立教・立命館・明治全勝!

根岸 君 ≫≫慶応大学進学 / 前橋東卒(2008年)

 

根岸の現役時の受験結果は、立命館アジア大学のみ合格というものだった。関東の人には馴染みの無い大学だ。立命館という名前がついているが、立命館大学とは大きさも難易度も大きくかけ離れた九州の大学だ。それより上の大学は不合格だった。

そんな根岸の元に、いろいろな予備校の資料が届く。大宮のK合や高崎のYゼミに見学に行ったのだが、どちらも入会はしなかった。大宮は通うのが時間ロスと体力的につらすぎるし、高崎はどうも真剣に勉強している雰囲気が感じ取れなかったからだ。(東進衛星からは何故かダイレクトメールが届かなかった。)

とりあえず4月は自分で勉強することにしたのだ。各教科やりたい参考書があったし、高校生活とは違い朝から晩まで勉強すれば合格できると思えたからだ。しかし、その予定はすぐに崩れたのだった。4月の末には、勉強時間が減少。図書館で毎日勉強するという目標は意外とあっさり崩れる。行かなくてもだれからも責められないし、疲れた時に抜け出したり早く帰宅してしまうのだ。
根岸は危機感を覚えインターネットで予備校を探し、東進衛星予備校を見つける。資料請求してそこでダイレクトメールを初めて目にする。「これは真剣な空間だな」と感じた。
すぐに前橋三河校を訪ねた。みんな真剣に長時間勉強していた。ここであれば勉強に打ち込むことが出来ると確信し、すぐに入会を決めた。
5月から入学しても校長の配慮により、すぐに周りの生徒と打ち解けることができた。そして根岸はこの生活スタイルにすぐ慣れた。飛躍的に勉強時間が増え、リズムを崩すことがなくなった。

 

根岸は英語はある程度得意だったので、長文講座からスタート。苦手な世界史も、東進の授業でみるみる実力をつけていく。「現役の時に自分でやっていた勉強法ではすぐに限界がきました。やっぱり授業はわかりやすいし、演習講座では知識の使い方を学べた。」

 

根岸は8月から赤本を始めた。最終目標は慶應義塾だが、校長のアドバイスによりマーチの赤本から始めることにした。英語に関してはある程度解けたものの、慶應の赤本には跳ね返された。校長に相談したところ、「長文読解法の前の構文解釈に原因がある。」と言われ、英語のストラテジーという講座を追加で申し込んだ。これがひとつの転機を迎える。
「それまでシス単で有名な中澤のOSPの教材をやっていたのですが、結局大意を捉える前に、一文一文を正確に読めていなかったんですね。センターレベルの英文は読めても、難関私立の英文は前からスラスラ読めるものではない。だから構文の授業は正に自分に足りていない基礎でした。」
その後、根岸は赤本50年分にトライする。慶應・早稲田・上智・明治。複数学部で複数年で50年。根岸の机の足元には、コレクションのごとく赤本が並んでいた。
赤本で課題を出し、東進の講座で該当する講座を探し対策していく。
また、赤本の解説でわからない部分に関しては、チューターによく質問した。

 

センター試験前に、本格的なセンター対策をするか悩んだ。第一志望にセンター利用は無い。センター対策はぎりぎりまで遅らせ、年末でも私立対策に費やしたのだ。

 

それでもセンターで全教科とも90%を超えることができた。地力がついたことの証明だった。これで立命館を獲り、あとは一般入試を8つ挑む。受験プランも校長と綿密に組んだ。

 

慶應義塾(商)・早稲田(教育・社会・文化)・上智(文・総合人間)立教(社)・明治(政経)。

 

手応えがあった。なんと全勝だ。完全な形で受験を終えることができた。最高の達成感だった。

「毎年全勝する生徒が出るのですが、これだけ早稲田・慶應・上智を獲った生徒は記憶にありません。東大・一橋狙いの生徒が稼いだ早慶合格ではなく、早慶を第一志望にして勝ち取ってます。ここ数年、前橋東の早稲田・慶應の合格実績はほとんどこの校舎から生まれています。」と田中校長。

現在、根岸は慶應のキャンパスで有意義なキャンパスライフをおくっている。
夏にはNPO活動。3月には短期留学を予定している。いろいろなトライをするたびに、人生を変えた10ヶ月のことを思い出す。「あの頑張りがあったから今があるんだな。」と。

 

根岸君から
この10ヶ月は本当に勉強に打ち込みました。請求した資料の表紙に「2ランク上の大学へ。あと1年で手に入れる」は本当でした。(いや東進大学ランクでは4(立命アジア)→8(慶應義塾)への4ランクUPかな(笑))みなさんもこのシステムで頑張って2ランク以上の大学を目指し勝ち取ってください。人生が変わります。帰省した時はみなさんに僕の勉強方法を伝えに行きます。

 

 

現役で群馬パース不合格→1浪で早稲田大学合格

星野 君 ≫≫早稲田大学進学 / 前橋東卒(2007年)

 

星野涼の高3の受験結果は、群馬パース大学 理学療法:不合格というものだった。試験自体は完璧なテゴタエにも関わらずだ。失望のなか漫然と浪人生活の事を考えはじめる。当初自宅浪人をしようと考えていたが、友人達が3月中盤になり、ようやく予備校選びを始める。

 

説明会に参加したのはYゼミナール高崎校だった。その後友人のY君に誘われて東進衛星予備校の説明会に参加する。星野は当日まで東進衛星予備校が「DVDで勉強を進める」という事を知らなかった。行く道の途中で初めてその事実をYから聞き、「DVDなんかで大丈夫か?」と思った。

 

説明会の中の体験授業で初めてDVDの有名講師の授業を体験した。「この勉強方法は意外といいかも」という印象だった。友人Yは東進に入塾することを決め強烈に誘われたこともあり東進衛星への入学を決めた。

 

4月13日。ガイダンス。この日から41週間の勉強がスタートした。

 

星野はいつも校舎に最初に登校をした。勉強は9:30開始だが8:55の開館に合わせるように登校した。少しでも勉強時間を確保する為だ。
最初の2週間が一番辛かった。これほど長時間勉強するこに体が慣れていないからだ。しかし、周りの人達も同じ環境で勉強をしているし、21:30まで帰れないというシステムは入塾前からわかっていたことなので次第にそれが普通になっていった。

 

東進の授業は通年講座(90分×20コマ)を15セット。講習講座(90分×5回)を20セット申しこんだ。1週間に12~15コマをこなしていき、確認テストもほぼこなしていった。

 

「たまに確認テストが無駄に思えるときもあったけど、模試で点数が上昇している人はやはり確認テストをこなしている人達だったのでなるべく確認テストはこなした。」

 

予習→授業 →復習→確認テスト→チューターや校長に質問 を繰り返していった。
なかでも良かった授業は、難関2次私大数学とハイレベル物理演習だ。「問題に対して単に解法を教えるだけでなく、生徒目線で方針をたてて解説してもえた。自分が思い浮かばないテクニックもたくさんでてきて大変興味がわきました。」

 

 

直前期は受講を抑え目にして問題演習を!

直前期にはDVD学習を少なくして問題演習にはいれ。だった。授業の受けすぎに非常に気を使ってくれていた。星野は数学についてはDVD学習のメドがつくと、「大学への数学」をやりこみ、チューターや校長に質問した。校長に漸化式を教わり漸化式オタクになったり、とにかくいろいろ校長には話した。勉強方法や講座の不満(笑)や志望校の選び方、etc. 東進の批判についても校長は話を聞いて本音で話してくれたし将来の職業ののメリット・デメリットをいろいろな角度から一緒に考えてくれた。

「他の予備校では授業・設備のキレイさは満足できたと思うが、毎日21:30までみんなが勉強している環境は手に入らなかったと思う。マジメな生徒とそうでない生徒の差が激しいし、事務や担任との話す時間はいったいどのくらいあるのだろうか?」

そんな星野もスランプには何度も陥った。星野のスランプ脱出法は「とにかく勉強をやめない」だった。

普通は「気分転換」などをするのかもしれない。しかし三河校では3回の休憩時間しか外出できない。

「結局勉強するしか解決策は無いわけだし、友人に話しても解決はしない。だから俺は勉強から逃げなかった。」

 

理学療法の大学3つと早稲田のスポが合格してどちらに進学するか非常に悩んだ。

東進のOBに早稲田のスポの人がいたので連絡をとってもらい直接早稲田のことが聞けたのが大きかった。

同時に校長の友人の理学療法士の人にいろいろ聞いてもらい、自分の考えていた「スポーツ理学療法

の門の狭さ」を聞き、最終的には早稲田大学を選んだ。

「この1年間はとにかく勉強だけの1年でした。しかし群馬パース落ち→早稲田大学 へ進学できたのだから満足しています。」

 

これから東進衛星に入塾する人へ。

「1年間このシステムで頑張れば明るい未来が待っているので死ぬ気でがんばって!」

 

 

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